2017年6月18日 週報より

 

◇ はなたま・はるたま母さん日記 ◇

  

 そうだ、次の礼拝の讃美歌は「ナルドの香油」

にしよう“と週の半ばに何となく決めました。その2日後、礼拝で証をしてくださる姉妹に、取り上げる聖書箇所をお尋ねしました。そしてその部分を読んでみて、なんと言うことでしょう!!。私は、まさにその場面の讃美歌を選んでいたのです。さっそくこのことを姉妹にお伝えし、神様は生きて働いておられること、私たちと共にいてくださることを喜び合いました。

 このことを「ただの偶然」「ラッキーだっただけ」とするのか、「この奉仕を主は喜んでおられる」「私は愛されている」と捉えるかでは、その出来事の意味は全く違うものになります。前者であれば、感謝はなく、すべて自分中心であり、神様から顔をそむけている状態かもしれません。

 ところで。冒頭の出来事はなぜ起こったのでしょうか?それは主のみご存知のことですが、私は、この姉妹は証を行なうにあたって、熱心に祈りを捧げたのではないかと思うのです。私も、礼拝の準備のため、礼拝のために祈りました。私たちは別々に祈っていましたが、神様は、小さな私の願いさえも叶えてくださっているのです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい(テサロニケの信徒への手紙一 51618)」の御言葉のとおりです。

 私たちは、毎日の忙しさや自分の生活のことだけに流されて、祈りを忘れてはいないでしょうか。

 神様の御業は、偶然ではありません。求め、祈り、感謝してまた祈る。これらのことが、私たちの生活が深く豊かにされていく方法なのかもしれないと思いました。


 

 


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